私ども商店街は、武家屋敷だった明治10年に西南戦争の戦火で焼失し、その後、商家が建ち並ぶようになりました。また、東側には官庁が建ち並び、西には学校が建ちました。北の広町は交通の要所として、私ども商店街が環境とともに明治・大正と発展しました。第二次世界大戦の戦火には遭わずに、戦後も暫くは熊本市の中で一番の賑わいをみせた時期もあったと聞きます。しかし、昭和28年6月26日の熊本市内の大水害には、私ども商店街も軒までつかり甚大な被害にあいました。また、昭和30年代に入りますと、県庁の移転や、学校の移転で市の中心部も南へと移り衰退し始めました。昭和52年にトタンだった片側アーケードを立派な片側アーケードに作り変え町の名前も「フラワー通り」として再出発しました。しかしながら、片側アーケードは二階以上には店舗は作られず、時とともに老朽化して、店も暗いし、アーケードは雨漏りをしていました。そんな折、上通地区の再開発計画が持ち上がり計画案が提示されました。(コミュニティー計画)それをもとに町内で話し合いをもち、アーケードを撤廃してオープンモール化とすることとしました。条件として電線の地中化・並木を植える・車道にも自然石を貼る濤でした。市役所の多大なる協力のもとに計画は実行され平成1年12月に完成しました。通りの名勝も一般公募して「上通並木坂」と付けました。オープンとともに若い店主が若い人相手の古着屋を数店町内に開店しました。その後もそのような店が開店して急に街の活気が出てきました。古い建物もオープンモールとともに、外観のリホームや新築が相次ぎ、今や若者の町として、平日も大変賑わうようになりました。路地よ裏通りにも若い人が飲食店や洋装店を出して一段と賑わうようになりました。 是非、熊本の人たちはもちろんのこと、熊本に旅行に来られたら「上通並木坂」にお立ちより下さい。 |